SWRSAddr.iniの意外な知名度について

th123_ai付属のSWRSAddr.iniは正直自己満足というか、tskに習っただけで特に意味はなかったりします。
一応非想天則更新時には自分がリリースしなくともiniさえ更新すれば使えることになってはいましたが、一度たりともその機会は訪れてません。

けれど、意外なところで目にするというか、開発者達に受けが良いのはどうやらこちらのようで
某スレで、メモリーエディターだけで解析するの大変じゃない?と聞いたら
SWRSAddr.iniがあれば絞込みは余裕だから問題ない、と返って来て驚くぐらい。

自分にツール作りのセンスがないことはわかったので
こういう、ツール開発の敷居を下げる方に力を入れたほうが、皆幸せになれるのかもしれない。

とかいいつつ
実は開発支援のほうが開発より数段センスいるという経験則に阻まれて
なんとも悲しい気分になるのでした。

他者依存とナルシズム

ナルシスト成分は人を自立に向かわせ、単独で完結する力をもたらす。
これが薄い場合、自身の価値を外側に見出し、他人に必要とされる事によってでしか精神が安定しなくなる。
結果、他者に依存した形でしか生きられなくなる、これを他者依存症と呼ぶ。

とりあえず、自分がナルシストだと言うことだけはわかった。
他人に依存してないですしね、うん。

ナルシストだって他者に評価される事は望む、というかうざいぐらいに固執しますが
別に評価さえもらえれば、別に役に立ってたり必要とされているかは関係ない。
逆に、依存する人は評価されなくとも、自分がいなければどうにもならないという状況がありさえすれば
それで一生満足していられる、ということなのだろう。

人間ってめんどうくさいなー

理解する努力

最近の一番大きな悩みは、対人関係がうまくいかないこと。
仕事場で問題が絶えず、出社するたびに精神力をすり減らしている状態だ。

悪いのは基本全部自分で、言うも聞くにもミスが目立つ。
だがそれでも自分だけで抱え込むのは何か違うので、ちょっと考えてみる。

自分はどう説明されれば理解できるのか

ttp://anond.hatelabo.jp/20100914181445
きっかけはこれ。
読んで思ったのは、自分はどう説明されれば理解できるのか?ということ。

型にはめてみる

ttp://ms2.seesaa.net/article/163091336.html
トラックバックを漁ったらこんなのが出てきたので、この型にしたがって自分はどういうタイプなのか考えてみる。

1. 細部まで全て説明されたい。
2. ゴールだけ与えて野放しにされたい。

自分の悩みの一つで、正直どちらともいえる。
本音としてはゴールだけもらいたいのだが、その結果が大きくずれていて問題になるということが怖い。
かといって、ゴールを詳細に聞けば、それは細部まで説明されることとなんら変わらない。

とりあえず、本音を重視して2ということにしておく。

1. 失敗したくない意識が強い。
2. 失敗しながら学ぶ。

失敗したくない、失敗しないで学べるならばそのほうが良いに決まっている。
何も考えずこう即答する自分なので、1で確定。
だが失敗しないと学ばないことがあるというのもわかる、世の中は難しい。

1. わからなくても質問できない。
2. なんでも質問する。

質問されるのが嫌い、余計な質問をしすぎて叱られたことがトラウマ、そもそも会話自体が苦手。
けど、些細な質問ほどつい口にしてしまう。
些細じゃない質問は出来ないので、この場では1だと思っておく。

1. 叱ると萎縮する。
2. 叱られないとわからない。

間違いなく1、叱られないとわからないことも多いだろうが、萎縮するのは確か。
むしろ、萎縮するべき叱りとそうでない叱りが区別できない、萎縮するなと後から言われて驚くのが日常ともいえる。

萎縮するべき叱りなどない、と言われそうだが
そもそも萎縮するぐらいがちょうど良い、それぐらい大きな過ちもあれば、それほどでもないものもあるはず。

あと、自分は褒めて伸びるタイプだと思ってるからでもある、褒められた覚えなんてほとんどないからだけどね。

結局自分はどうすればいいのか

記事中でも書かれていたが、やはり対人とは型にはまるようなものではないらしい。
実際型にはめてもずばりといったところが一個もない。
どれも多かれ少なかれ両方の要素を持っているように感じるからだ。

とはいえ、こういった視点は良いものだ、別の方向からライトを当てたがごとく、色々見えるものがある。
たとえば、野放しにされたい願望が強いこと。
叱られず、質問せず、失敗しない、ならばそれは一人でやるのと近い形となるわけで、ゴールだけ与えられて野放しにされたいということになるだろう。
だが実際にはそれではうまくいかない、だから少し説明を増やす方向で落としどころを探っている、そんなところだろうか。

とりあえず、ゴールは何かを最初に聞く、これを意識すれば多少は改善するかもしれない。

脳内文章補正力

文章を書きます。
自分で読んでみて、書くときに込めた意味について考え直します。
それを伝える上で不必要な文章を削除します。
=>文章量が1/3になります。

これは文を使い慣れているかどうかの差、というやつなのか。
とにかく自分の文章には無駄が多い。

必要な情報が足りないのとは違い、読み直せば自分でも理解できる。
なのに、書いた時点では気づけない。

そりゃエンコーダーとデコーダーは別物だから当然だが、さすがにどうかとは思う。
会話についても残らないからわからないだけできっと同じ問題を抱えている。

気が遠くなるぐらい繰り返せば、最適化されて減るのか?
そうすれば相互理解もうまくいくのか。
であれば、自分はまず毎日ブログを書く努力からはじめるべきかもしれない。
文章にする事自体は好きだしね。