玩具箱

th123_aiは色々な意味で自分の全てが出ていたと思う。
おそらく、自分は今後このソフト以上のものは作れないと思う。
いや、客観的に見ればこれ以上のものはいくらでも作るだろうけど、注ぎ込んだ心というか意欲というか興味というか、そういったもので勝てるものは早々出ないに違いない。

自分は熱しやすく冷めやすい人間の極端版で、瞬間的な開発力は自分でも驚くぐらいに高くなる。
自分の代表作はどれも初めて2日で大体完成しているのが良い例だと思う。
でも、そのやる気が自発的にあれだけ長く続いたのはth123_aiだけ。
もちろん、その最盛期がずっと何年も続いたわけじゃないけれど、これほど長期間開発を続けたアプリなんてほかには一つとしてありはしない。
たぶん、それだけ自分にあったものだったんだと思う。

だから思い入れも激しくて、こいつだけは絶対に失敗させやしないと意気込んでいたはず。
結果はああなったけどね。
それが当時は相当ショックで、でも今は立ち直れているつもりだったのだけれど、なんだかんだで最近少し動きがあり
ソース公開用にテキスト書いたりソースを読み直していたりしたら、まだ全然癒えてない事に気づいてしまった。

嫌な世界だ。
技術には良いも悪いも無い、道具にも良いも悪いもない。
だから何を作ってどう公開しようとも何も悪い事は怒らず、全てが幸いに働く世界だったらいいのに。
なんでこんな余計なことばかり考えなきゃいけなくて、考えが少しでも足りなかったら傷付けあってしまうような世界なんだろう。
完璧なんてありえないと誰もがわかっているはずなのに、最低ラインが完璧という矛盾。
だから始めからやらない以外に道が無いし、その道を外れればただ傷つけあってしまうだけ。
そんな事が出来るのは何物でも傷つかない人か、他人を傷つけることを躊躇しない人だけだ。
自分にはどちらも難しい。
だから自分は道を外れない、もう二度と外れやしない、傷つくのも傷つけられるのも真っ平ごめんだ。
自分の創作力なんてこの世から消し飛んでしまえ!

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