親しさを計る物差し

自分が人と話しているとき、自分の中には二つのパラメーターがあるように思える。
一つは遠慮、一つは熱意。
遠慮は言い換えると厳選、もしくは絞込み。
基本的に親しく無い相手ほど遠慮が強くなり、必要最低限度のみに絞るようになる。
熱意は言い換えると意欲、もしくは思考量。
基本的に親しい相手ほど熱意が下がり、最終的に脊髄反射でのみ話すようになる。

親しさとは厳密には比例していなくて、
熱意ある話し方をしていても親しい人は居るし、逆に遠慮しっぱなしなのに親しい人もいる。
ただ、自分の思考は非常に訳の判らない方向を常に向いているので
遠慮がなくなれば無くなるほど支離滅裂になる、特に弟と話しているときなど自分でも訳の判らない発言が本当に目立つ。
そういう意味では、遠慮の無さと親しさはあまり関係ないかもしれない。
たぶん、相手に通じるかどうかで遠慮のレベルが変わっていて
通じ合いやすい相手とは自然と親しくなる、といった方がきっと近い。
熱意のほうは部分的にはU字型に近くて
親兄弟のような人とは親しくなればなるほど熱意は下がるが
プログラマー関連の友人などは親しくなればなるほど熱意が上がる傾向がある。
やはり人間単純には行かないということなのだろう。

書いていて気づいたけど、弟相手には理解させる気が無いから遠慮が無くて
友人には理解してもらいたいから遠慮がある気がしてきた。
そうか、人間とは相手に理解させる気も無く適当に喋るとあんな言語になるのか……