前提条件

自分と他人の間で議論が成立しない理由について。

例えば、壊れるものと壊れないものがあり、壊れない物があると言う事もどれがそうであるかも明白になっている場合。
一般的な人は、壊れるものとして考えなければ意味が通じない話をする際、”全て”という単語を”壊れるもの全て”という意味で使用する。
自分はこのとき、壊れるものも含んだ全てであると受け取るため、前提条件がずれ、会話が成立しなくなる。

理由はよくわかっていないが、おそらく同じような経緯で、いつの間にか前提が外れて、広義の意味での単語になっており、狭義の意味だと勘違いをしたせいで会話が成立しないこともよくおこる。

自分から見れば、周囲の人は口を開くごとに前言に矛盾する発言を繰り返し、それをさも当然のごとく振舞っているように見える。
当然そんなものは理解できないので、重要そうな要素に見当をつけ、しつこいぐらいに細かい確認を行って認識にずれがないことを確認して、そこから周囲に推論と確認を繰り返すことで認識をあわせようとしたりする。
けれど、大体の場合は素直に質問に答えてくれるだけのでくの坊で居てくれ無いので、次から次へと新しい矛盾や新情報が語られ話の方向性さえねじまがっていき、また始めからやり直せざるを得なくなっていく。
かといって理解できないまま聞きに徹すれば、欠片も理解できないままに会話は終わり、後々より大きな勘違いとなって返ってくるのだ。

正直どうしろっちゅうんじゃという心境だが、そんな気持ちは周囲の人たちの方がよほど大きいだろうとも思う。
日本語って難しいね、うん。

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