雑記?

理解のアプローチ。

物事を説明するに当たって
ぶっちゃけ全体像はいいので、原点もしくは原因あるいは理由を最初に教えて欲しいといつも思う。

自分の脳みそはパース性能が良くないので、入れる情報が多ければ多いほど理解が大変になるのだ。
基本大本さえ知っていれば大枠は推測可能であるし、現状説明だけでは誤解を招くことが多いのだから、一石二鳥というものだろう。

といいつつ、自分はそういう説明を出来ていない。
周囲からもそういった説明がなされる事は稀なので、意識するならもっと別の方法にするべきではあるのだろうが。


ギャップと感情。

笑うにしろ喜ぶにしろ怒るにしろ悲しむにしろ、強い感情というのは大抵予想とのギャップから生まれるらしい。

そういわれてみると、確かにそういう傾向があることがわかる。
けれど、ギャップがあれば良いというものではなく、ギャップが有ればあるほど良いにしろ悪いにしろ勘定が強くなるだけ、というあたりに気をつけなければならない。

たとえば、接客業に置いてマニュアル的に対応される事を期待しているとき、
マニュアルの範囲を超えてなんらかのサービスが行われると、喜ぶ人と憤る人のどちらもありうるという話だ。

これはどこに価値を見出しているかの違いで
たとえば常に変わらぬ対応に心地よさを覚えている場合、たとえ手間が減るとしても普段と異なる対応に不快感を覚えるだろう。
逆に、マニュアル徹底による質の向上を評価している人なら、マニュアル外までサービス提供されれば評価を上げるに違いない。

つまり、マニュアル外対応は一種の博打であり、きちんと検討された上で行われなければ、逆に評価を下げてしまうことがありうるということだ。

これはその他の感情にまつわるものでも同じだ。
人間の感情とは基本博打であり、絶対は存在しない。
結局、勝つ確率が高いか低いかの差でしかないのだから。

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