趣味のお仕事

某友人から趣味の仕事を請け負いました。
内容は「某同人ゲームのデータ集をhtmlで作る」こと。
データの元としてソースコードがもらえるとかで、既にenemyとskillのソースをもらいました、グヘヘヘ

もらったソースコードみてウヒョーウヒョーいいつつ、無駄にやる気出してtracのセットアップまでやってみたものの
たぶんいきなり知らない人にこれ見せても意味判らないだろうなーとか思っても居る。
まぁ、自己管理ツールとしても便利だから別に良いけど。

とりあえず目標は、完成させること。
夜逃げダメ、絶対。

あぁ、そういえば報酬の話一切してなかったけど大丈夫なのかしら。
無償でしか仕事請けないって以前言ってあるし、たぶん大丈夫だとは思うけど
何かしら受け取らないと対等じゃなく見えていやーな感じになるのかな
いや、それ以前に神主みたいに揉め事起きるかもなのか。
うーむ、お金って面倒くさくてやーねー

未だに1アクセス/日ある不思議

そんな事を毎日確認している自分もどうかとは思うけどね。

他人の空似はドメインを代えただけで、以前はhttp://wordpress.click3.org/に設置されていました。
また、そのときはアクセス解析にも登録していたため
閉鎖した今でもグーグルのキャッシュなどからアクセス解析に情報が飛び、アクセスがあったことになっているようです。

本当にインターネットは怖い。
一度公開した情報は一月以上経ってもまだこれだけ根深く残ってしまう。
もう二度と、そんな愚かなまねはすまい。

約10万円目覚ましの効果

割と自分には向いているようです。

定刻起床装置 「やすらぎ」(個人簡易型)
http://www.eki-net.biz/shinko/g99781/

確実に一度は目が覚める。
不快感は目覚まし時計や蹴り起こされるのと変らない。
二度寝防止効果は一切無し。
意外と静か。
首がきつい姿勢になるのでいつか痛めそう。
敷布団の下に敷いたら盛大にずれた。
時計が発光式なので非常に目障り。

目覚まし時計でも目が覚めるけど二度寝しちゃう、もしくは無意識のうちに目覚まし時計を止めてしまうタイプの人にとっては必要なし。
繰り返し機能が無いし、動作時刻は一つしか登録できないし、スイッチ一つでON/OFF出来てしまうから。
目覚まし時計が何個あろうがどれだけうるさかろうが一度も目が覚めない、そういう人にならお勧め。
一度でも目が覚めればあとは意志の力で何とかなるけれど、そこにすらたどり着けない時ってどうしようもないですしね。

天下り撲滅が目標らしいけど

天下り撲滅前に他のものまで撲滅しやしないかと心配です。

某大学の某研究機関がやってる某プロジェクトの予算が削られるとか、下手したらプロジェクト自体無かった事になるかもとか不穏な噂を聞くようになった今日この頃。
自分の勤めている会社も参加していて、そこで開発や設計に携わっていただけに戦々恐々。
理由は、優秀な人たちをやたら使う割に進行が遅く、また期間も長期的過ぎるので~みたいな話らしいが詳しくは教えてもらえなかった。
下っ端視点では、予算少なすぎていつも皆ヒーヒー言ってる感じに見えたんですが、上から見ると遊んでいるだけに見えるようだ。
もっと対極的な理由はタイトルどおりで、天下り撲滅活動(?)の一環として国営の研究機関の組織図が大きく変る事になったらしい。
やってることはむちゃくちゃ真面目だし、特に後ろめたくも無いはずなのにね、なんで被害受けるんだろうね、しょうがないのかね。

説明力不足とか秘密保持契約の問題でかける事が大分少ないなか無理くり書いたけれど
これだとプロジェクト終わって当然に見えるから困る。

自分は絶対使われる人種

使うとか責任を持つとか支持をするとか無理無理絶対無理
割と仲が良い友人が居て、色々合って後輩になってしまい、自分の責任で色々して上げる立場になった。
むちゃくちゃ怖い、というか無理、ほんと無理、無理ゲー。

だって自分の10倍ぐらいしっかりしてて、自分の10倍ぐらい才気溢れてて、自分なんかが関わって良いのかちょっと不安になる友人よ?
それも、バイト斡旋とか色々人生に影響与えそうな事よ? 無理だって!!!

とかいいつつ、友人の強い希望に流される形で進む。
死にたい、いっそ殺して……
うまく行けば良いけど、これでもし問題がおきて酷い目にあわせちゃったりしたら、自分も会社辞めるぐらいするしかないと思う。
うあうあうあうあう、絶対無理だって、なんで自分頼られてるの、おかしいでしょ、絶対こんな役柄自分には無理だって

こんな事ならバイトのことなんて安易に話すんじゃなかった。
せめて、新入生が増えて、知り合いも出来て、社長も時間余る時期まで待つべきだったのではないだろうか
はなから成功しない恐れがあるのに煽って希望だけ持たせるとか、自分死ねばいいのに。

個人創作

素人の個人創作物は良い、なんというか密度が違う。

確かに、品質という面ではプロが作ったものの方が遥かに優れているし、当たり外れの率も段違いだ。
だけれども、プロが作ったものには深み?奥深さ? そういうものが無い。
いや、創作物そのものにはもちろんある、むしろ創作物自体の深みはプロの作品の方が遥かに優れている事が多いと思う。
だが、それに込められた思いというか、作り手の存在というか、そういうものが違う。

例えば、プロが作る場合、ほとんどの作業には慣れていて、大部分の作業は何も考えなくともできる、そういう状態にあり
考えるべき部分においても、何をどう考えれば良いのかも慣れているため、最終的にはあまり考えずに作られる。
もちろんそんな事は無いという人も居るだろう、けれど、初めてその作業に携わった時の自分が、今時分が作っているものを作ろうとしたとしたら
今の自分と同じ量しか考えずに同じ物を作れるだろうか? と聞かれれば、きっと誰しもが無理だと答えるはずだ。

つまり、プロでない個人はそれが正しいのかも判らず、だからといって正しいものしか出してはいけないという制限もなく
自分の持ちうる全て、とまでは言わないまでも、ありとあらゆる雑多な思いと考えを込めて作り出している。
それはプロには出来ない事だ、水が独りでに滝を登る事は無いように、無駄で非効率で意味が無いとわかっていることを自分からする人間などそうはいない。
だからこそ、間違いや王道を外れたものが当然のように編まれている製作物には、洗練された作品にはない物がある。
よく使われる表現としては、血が通っているようなとか、呼吸さえも感じ取れそうなとか、そういった表現になるだろうか。

もっと踏み込んで例えよう。
推理小説があったとして、100のトリックを思いつき90のトリックを没にしたとする。
この背景は完成品だけ見ても判らない、ただ推理小説として楽しいだけだ。
だが仮に、その捨てられた90のトリックを見る事が出来たなら、そこから作者がその完成品に至るまでの道筋を辿る事も可能になるかもしれない。
プロというのは効率がよい者のことを指す。
人にはやる気などといったエネルギーを使える量は決まっている。
そしてプロと素人では万ではすまない効率差がある、だからプロはよい物を作れる。
なので、プロはそもそも90も無駄を出さないし、出したとしても表に出すことは無いし、出す事が許されないことも多い。
だから見えないし判らない、綺麗に濃縮された上澄みだけが消費者に与えられるのだ。

だから、素人が効率的な方法を知らず、模索し、間違っているかもと思いより良いの道を探し、脳味噌の髄まで絞りきっても見つからず、不安を抱えたままその道を進む。
そういう試行錯誤というか、込められた想いの違いが、自分という消費者にとってはたまらなくよい物に見えるのだ。

要するに何を言いたいのかって言うと、インスピレーションとかモチベーションを得たいなら個人創作物の方が優れているよね、って話。

一晩寝かす

一晩では無いけれど、プログラムにも寝かすという行為は必要。
たとえば丸1日悩んでわからなかったバグが、寝て起きたら一発で治る、よくあること。
頭の中で散々こねくり回して完璧だと確信したが、寝て起きたら抜けを思いつく、よくあること。

あと熟成と似た概念もある。
全てをきちんと理解していたとしても、それから長い期間を経ないと至れない境地もある。
これはもう完全に経験則で具体的に説明しようが無いのだけれど、それでもやはり時間の経過は知識を成長させる事があるのは事実だと思う。
別に使わなくたっていい、思いだすことすらなくて良い、ただ記憶の精度を落とさずに時が流れれば、それは一歩進んだ別の知識になる。
反復することで知識が経験に昇華する、という話とは似ているけどちょっと違う、だから熟成。

LZSSについて話をしていたら、別に組んだ覚えも無いのにいつの間にか身についていてビックリしたってお話ですが。

トラウマとか?

トラウマって段階として四段階ぐらいあると思う。
あくまで自分の体験+経験則なので正しいかは危ういんですけどね。

一段階目は、単に苦手意識を持つレベル。
一般的な好き嫌いは大抵この段階で終わる。

二段階目はめいいっぱい嫌がって全力で拒否する段階。
でも、嫌という事を自覚しているだけであって、その前後で引きずるようなことは無い。

三段階目は嫌がるという事を卒業、というよりは嫌がることすら嫌になり耐えるようになる段階。
理由は色々あるけど、大体悪化してくると皆こうなる気がする。
これぐらいだと、関連した物にすら嫌悪感を覚えるようになり、遭遇すればかなり長期間引きずる。

四段階目は耐える事すら限界に来て、また全力で拒否するだけになる段階。
ぶっちゃけ手後れかその一歩手前ぐらい、それぐらい極まらないとこうはならない。

自分は三段階目なトラウマが合って、もう二週間以上経つのにまだ微妙に引きずっている。
もう痕も無いのにね、どうしてこうなるのやら。

何でこんな事を書きたくなったかというと、とある創作サイトで見たお話に、三段階目な方が描かれていまして
そういやなんで重症になると内側に溜め込むようになるのかなー? あれ、泣き喚くぐらいの方がもっと重症なのか? あれ?あれ?
となったので、軽く考えをまとめるためだけだったり。

結論として、泣き喚く段階が二つあるだけだということになりました。
年齢とか成長とか、その辺の影響によるものが大きすぎるだけな気がしないでもないが、気にしない!